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踏み絵の刑・・・ 

ヨコハマ経済新聞2009年06月03日伊能大図と今横浜

神奈川新聞 発 2009/06/02

産経MSN 発 2009.5.31 19:27

 

行ってきましたよ。

さーべい屋の【ご先祖】であり【教祖様】として、崇め奉られている「伊能忠敬」様が御調整成された大図を拝しに。

場所は横浜大桟橋客船ターミナルにある大桟橋ホール地図)。

入場料・・・へ?「ごさくえん」もとるの?へえへえ拝観させて戴き・・・・

え?靴脱げ?土足禁止ってあーた、「ものほん」じゃないだろ「ぴーこ」もんだろ。

はいはい、へえへえ不浄の物は脱がさせていただきやすよ。

しかし・・でけーな!をい!

伊能大図風景(四国付近)

 

で、御禁制の踏み絵をば

江戸城に踏み絵

 江戸城にずんっと踏んできましたよ。

これであたしも二度とキリシタン(元の業界)に戻れなくなりましたw。

 

で、これが開国前の「横浜

伊能大図横浜付近案内

 

見えるかな?左から流れてきた川(吉田新田開発前は入り江-海-だった)がぐぐぐっと(多分潮流の関係か)ひん曲がって「ヨコ」にながーい「ハマ」を作っているのがお解りであろうか。

 

この浜が「横浜村」の由来である。因みにJR根岸線(関内/関外の境)をバックに海の方を見ると不思議なことに隆起していく。内陸が低く海に向かうほど隆起してそこで海になるのは、昔は砂州(浜)の上に居留地を作り、元海(とゆうか川とゆうか)の所(今の横浜スタジアム付近)を潮だまりとして残っていた後が見える。

横浜 吉田新田前図

 因みに、江戸幕府開闢頃は中区南区(伊勢佐木町や国道16号辺り)は完全な入り江で、それを、吉田勘兵衛が明暦2 年(1656)に苦難(11年)の末埋め立てたのである。

これが後世に残る吉田新田

ここらの地形が異様に真っ平らなのは埋め立て地(当時だから当然畚担ぎの人力!)だからである。

今の横浜繁華街都心部は殆どこうした埋め立て地である。

 

  • 日時:2009年6月2日(火)-5日(金)11:00-20:00
  • (最終日は17:00まで、最終入場は16:30まで) 

     

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