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海にあった空への玄関口 

読売新聞2009年6月17日毎日新聞 発 2009年6月17日東京新聞 発 2009年6月21日

海にあった空への玄関(根岸飛行場)

 横浜開港150周年を記念し、横浜市磯子区沖の根岸湾にかつて離着水していた民間飛行艇の歴史を伝えるイベント「根岸湾は飛行艇の海だった」が17日~23日迄、同区杉田の磯子区民文化センター杉田劇場らびすた新杉田内5Fロビー)で行われている。

 

帝国陸軍向け飛行機を開発していた中島飛行機(隼等)のライセンス生産をしていた、立川飛行機(タッピ-立飛、自動車部は後のプリンス自動車)の親会社である渋沢同族会社第一第一勧銀みずほ)が、昭和9年資本金200万円で横浜市杉田町他に設立した

大日本航空 株式会社(通称:ニッピ)の飛行場である。


より大きな地図で 大日本航空 根岸飛行場跡地 を表示

川西航空機製造、帝国海軍九七式飛行艇(九七式大艇)、二式飛行艇(同大艇)を有し南洋パラオ、サイパンを結ぶ航路を飛んでいた。

川西九七式飛行艇

川西九七式飛行艇二十三型02

 九七式のなんと優美な姿、スタジオジブリ宮崎駿監督作品「紅の豚」の世界が実際に行われていた、短期間ではあるが。

川西二式大艇01

川西 H8K2 二式大型飛行艇 12型

 

こちらは敗戦後接収したアメリカ軍から「世界最優秀飛行艇」と言われた二式大艇。

これらの飛行艇を使い台北、マニラ、ダバオを経由して南洋諸島を飛んでいた。しかし大戦敗戦後、民間航空についても飛行機の所有・運用も一切禁止され、飛行活動に従事する組織も廃止・解散させられることになった。

海外渡航査証

 これは当時のパスポートの表紙と中身。時の外務大臣 従三位 勲一等 松岡洋右卿の名前が見える。

 

新明和 US-2

 機体を生産した川西は今現在、社名を「新明和工業株式会社」と改めPS-1US-1)を経てUS-2と進化し世界トップの性能を復活させた。

今や埋立が進み碑銘を残すのみとなった杉田飛行場。散歩がてら訪れては如何であろうか。

JR東日本根岸線京浜東北線根岸駅下車徒歩3~4分。プールセンター入口交差点左手にある。

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